2017/03/20

みんな
それぞれに救いの手が必要なのに
誰かに
この手をさし出さなくてはならない

あなたも
わたしも
ここでこうして
助けを待っているというのに
この手で
誰かを助けなくてはならない

救われるべきは
助けてもらうべきなのは
自分自身のはずなのに

誰かを助け
救いとなっては
報われもせず
疲れきっていて

ずぶずぶと沈み込みそうな
深い闇がそこにある
心はばらばらになって
助けを呼ぶ言葉も見つからない

その手をとれば
この闇は引き下がるのだろうか
この手をさし出したなら
あなたは握ってくれるだろうか
わたしに
気がついてくれるだろうか

勇気はあるだろうか
この手は
まだ力強いだろうか
この闇の淵に
あなたを引き上げることができるだろうか

躊躇するまに
深い闇に
その手が
引きずり込まれないよう

手を握るんだ
しっかりと
その手を掴むんだ
救おうとする自分が傷ついていても
誰より救いを求めていたとしても
さし出された手を握るんだ

救われたい自分
救おうとしている自分
救いをもとめる手
救われるべき手
みんな傷ついて
疲れきっている手を

振りかざすことなく
拳をほどいて
眼の前の手を握るんだ
敵はどこにもいない
勇気さえあれば

ひとつの手には溢れてしまい
ひとつの手には
かなわないことを
今この眼で見るために
さあ

その手を握るんだ



手はあたたかく傷ついた人を包む


わたしの手は、本当に忙しい。
ものを作り出すことが好きで、食事や、縫い物、なんでも手をかけてするのが好き。
一時期は、あまりにも自分で作ることにこだわって、洋服もみんな自分で作っていた。
文章を書くことも、手を使いながら、頭がクリアになっていくような
無心になれる手段のような、そんな気がする。

それなのに、わたしの手は、母の手を握った記憶さえ残していなかった。

自分がどこかに、突然触れられるのが苦手だったから、人に対しても
極力触れないようにと気を使っていたかもしれない。
友だちにも、親にも、姉弟にも。
みんなでお別れに握手をしても、わたしは隅っこでじっと見ているだけだった。

それが、父と母の病気をきっかけに変わった。
手の温もりが、弱った人に痛いくらいに伝わることを知って
今までの自分の、触れることへの怖れのような気持ちが
間違いだったと気づいた。

何を怖れていたのだろう、と考えた。
自分だけが傷ついて、救われたいという、そんな疲れた被害妄想だったのか。
みんな、自分なんかよりずっと頑張って、疲れきっていても
誰かの助けとなっていたのに、わたしの狭い心は
きっと見えない振りしてしまっていた。

自分の力は、頼りない。
できることも限られている。
でもいつかはきっと、今助けられている人の手を握って、わたしが助けとなる。
そうできるようにと、今を頑張る。
いつか必ず、自分を役立てられるように、しっかり前を向く。
こんな自分にも、さしのべる手はある。
さし出された手は、今度はしっかりと握ろう。
平和を願う祈りを、現実のものとするために
つよい自分を育てよう。








猫の村にお越しくださり
ありがとうございます
ちからづけていただけましたら しあわせです
平和な一日でありますように  

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